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問屋、卸の現状

いま日本の問屋はどんな状況にあるのか。日本のアパレル問屋の歴史は二〇〇〜三〇〇年とも言われる。戦後生まれたアパレルメーカーでも五〇年を経ている。なぜ、いま問屋・メーカーが存亡の危機に直面しているのか。問屋が集中する日本橋堀留や横山町周辺は人影もまばらだ。かつての活気に満ちた姿はみられない。一昔前までは荷をいっぱい積んだトラックが道が狭しと走り、地方の小売店からの注文の品物を荷捌する姿が見られた裏の荷捌場もひっそりとしている。不況の風で倒産に追い込まれたり、店じまいを余儀なくされる企業が後をたたないのだ。これら問屋が所属する東京織物卸商業組合のメンバーも年々減少し、六〇年代初めごろ五七八社あった会員数が四〇年後の今日では三〇〇社と、約二〇〇社近く減っている。同じことは大阪・船場や心斉橋周辺の問屋街でも大同少異である。やはりこの背景には中小小売店の地盤沈下があげられる。スーパーやコンビニの多店舗展開が中小店経営を圧迫しているのだ。一九九一年から一九九九年までに衣料専門店約二・五万店、一方衣料中心店は約二万店の減少。このように得意先小売店の減少は問屋・メーカー減少に拍車をかける。他方、テキスタイル(素材)メーカーと大型店との直取引が拡大してくれば問屋・メーカーの存在価値はなくなる。さらに大型店による納入業者の集約化が進んでくると弱小問屋は排除されてくる。

七〇年代は営業利益も倍増の時代

七〇年代は営業利益も倍増の時代であった。八〇年代に入るや除々に陰りが見えはじめる。そして九〇年代に入るや営業赤字に入ってしまう。銀行管理下におかれ再建途上となり、現在レナウンの株価は六一円(三月九日付)である。上場する同業の株価では最底だ。レナウン現社長は当時のことを「ぬるま湯的な社風が根底にあった」と言う。この風土をどう改革していくのか。いまごろになって消費者の心を起点にし、行動する会社に変えると宣言していることはひとまずおいておくとしても、しかしその理念をどのように具体的に一人ひとりの社員に浸透させていくかが問題だ。決算期毎に、新たな再建計画を発表しているが、理想と現実は異る。市場関係者たちも次の一手が伝わってこないと嘆く。取引先である百貨店の側にも顧客を引きつける売れ筋ブランドがない、流行を作り出す若い女性向けのブランドがないとする見方をもつ者がいてもおかしくはないだろう。このように商品企画力にも乏しい。先が見えない企業であればいくらビジョンを描けと要求されても無理からぬことだ。しかし渡辺は二〇〇三年一月までには一〇年ぶりに速結決算で経常黒字にし、復配を目指すと意気込んでいる。ともかく、現状ではリスクにチャレンジするSPA業態へ進出するにはどうしても消極的にならざるを得ない。

時代が「それ」を求めていた

時代が「それ」を求めていたこともあろう。「それ」とは、カジュアルな精神性と生き方だ。事実、アメリカは彼の死後、急激にカジュアル化に傾き、世界全体のカジュアル化につながっていく。その意味で、マーロン・ブランドは、その後も話題になった作品に出演し続けはしたが、今になってはディーンの前座的存在にも思える。しかしながら、カジュアルという言葉を考えるとき、マーロン・ブランドの「欲望という名の電車」、さらにエルヴィス・プレスリーの存在なくしては、ディーンが世界に発信したカジュアルの思想も、それほど効果をもちえなかったのではないだろうか。整理するなら、マーロン・ブランドがマッチョな体に汗臭い下着をまとい、女と酒、ボウリングやポーカーに溺れながらも、不自由なアメリカのどてっ腹に風穴を開け、今にも泣きだしそうな表情のジェームズ・ディーンが、チキンレースで自由へのレールを敷き、エルヴィスープレスリーが、ギター片手に腰をゆさゆさ振って、自由への地ならしを試みたのだ。いささか大胆な想像を試みるなら、この一連のアメリカ的カジュアルの流れが、きわめて自由(カジュアル)な思想をもった大統領ジョン・F・ケネディの誕生につながったのではないだろうか。そんな気がするのだ。


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